コロナ禍の時期にも関わらず。
このコロナ禍のタイミングですが、8/9~8/13に実家のある福岡市東区に帰省してきました。
帰省と言っても、
飛行機や新幹線のような公共交通機関を使うわけでなく、自分で運転して片道580余kmを往復してきました。
(往路:中国道→山陽道→中国道→九州道→国道3号、復路はこの反対で。)
こういう時期なので、
往路復路とも高速バスには1回(1台)しか出会わず、自家用車とトラックだけでした。
かつてこんなことはありませんでした。
(=高速バス会社の経営状況、および従業員の生活、推して知るべし)
そのためお盆期間だというのに高速道路はガラガラで、休憩を2回挟んで7時間で走ることができました。
当然、休憩するSAでも人はまばらで、車を降りる時は一応マスクを着用していましたが、トイレも含めて1m以内に人がいるという状態になりませんでした。
(すれ違う程度にはありましたけどね。普通に考えて接触には当たらないでしょう。)
福岡では、
(あらかじめわかっていたのですが)入院中の母親に会うこともできないので、
・区役所(長期入院の保険区分変更・高齢者高額医療費の手続き、還付金の口座変更)、
・年金事務所(年金払込口座の変更)、
等々、母親に関する各種事務手続きを行ってきました。
(当初の予定通り)このための帰省という感じです。
それでも1度、
福岡に住んでいる妹・甥っ子と外食に行きましたが、店内は閑散としていて、ここでも人が1m以内にいるという状態にはなりませんでした。
(=外食産業、および従業員の生活、推して知るべし)
むしろ、こうやってボディーブローのように経済を破壊していること(=仕事がなくなり、生活できずに自殺するケースの発生)の方が、実はコロナ禍の怖いところなのではないかと、改めて思った次第です。
私はウィルス感染による恐怖より、必要以上の過敏な反応によって引き起こされている経済活動の(ほぼ)停止による生活破綻の方がよっぽど怖いと、日に日に強く思っているところです。
マスク警察、自粛警察、帰省警察等々、同調圧力の強い社会で、「贅沢は敵だ!」「欲しがりません勝つまでは!」「非国民!」という言葉が聞こえてきそうな今般の状況に非常に危うさを感じる今日この頃です。
我々は、先の戦争からなにを学んだのでしょうか。
そういう意味では、
単純に感染者が何人だから危険ということではなく、事実に基づいてどういう場合の何が危なくて、医療体制のどういう状況を防止すべきで、どういう生活や経済活動なら大丈夫なのか、ということを行政の発表やマスコミの一方的な情報を鵜呑みにせず、事実はなにか、大局的にはどう行動するのが適切なのかを各自が真剣に考えなければならない時代になっているのではないかと思います。
情報が溢れている時代だからこそ、
思考停止になって流布されている情報に振り回されるのではなく、総体としてなにが本当に正しいのか?ということを考えて行動しなければならない時代になっているのだと思います。
ここでいう「総体」とは、社会全体というだけの意味ではありません。
時間軸を含めた概念と理解してください。
結論として、
思考停止は、自殺行為(=罪)だ、と私は考えています。